愛される子どもを育てよう

発達障害児でも、愛される子どもに育てたい
わが子がみんなに「愛される子ども」になってほしいというのは、親ならば誰しも願っていることだと思います。ましてや、わが子が発達障害児ならばなおさらです。
しかし、一般的な発達障害児のイメージは、残念ながら「愛される子ども」からはかけ離れているように思います。その理由は、発達障害の障害特性にあるのではないでしょうか。その障害特性にはさまざまなものがあり、発達障害児の独特な行動は、他の人からは異様に思えるのでしょう。なかでもパニックを起こして泣きわめく子どもは、第三者から見ればとてもうけ入れられないような光景に映ってしまうものだと思います。
幼児期の私の息子は多動で落ち着きがなく、他者からみれば異様な幼児だったと思います。外出先でパニックを起こされた日には、厳しい親で子供がかわいそうと思われたでしょう。ちょっとしたきっかけでパニックを起こして暴れる息子を育てるのに、どうしたら良いのかわからず、悩んでいました。息子の子育ての日々が、つらすぎてすべて投げだしたい気持ちでいっぱいでした。本当に、精神的にも肉体的にも追い詰められていたのだと思います。こんな状況でしたから、当時の息子は、どうみても「愛される子ども」からはほど遠い存在だったと思います。
私は親ですから、息子のことを無条件に愛しています。ですが、幼児期のパニックを起こして泣きわめく息子を前にして、どうすればよいのかわからなくて、途方にくれていました。このままでは息子は、世間の方々からは愛されるどころか、うけ入れてもらえるのかさえもむずかしいと、当時の私は真剣に悩んでいました。
今後、就学して集団生活を送るにしても、また、成人後就労できるかわからないまでも、社会の中で健常者とかかわりをもって生きていくとしたら、できれば「愛される子ども」になってほしい。愛されるとまではいかなくとも、せめてうけ入れてもらえるようにならないだろうか。うけ入れてもらうためにはどうしたらいいのかと日々、考えていました。しかし、息子の子育てに疲弊していた私は、なかなか有効な答えを見つけることができませんでした。
当時は発達障害児の子育てについての有効な情報がほとんどなかったため、とても困っていました。周囲にいる先輩お母さんにアドバイスをお願いしたり、自閉症についての本を読みあさりましたが、これという情報を得ることができなかったのです。
最終的には、私は息子をより良く育てることができたと思っていますが、当時は、このような状況でしたから、息子の子育てについては、かなり遠回りした感は否めません。ですから、みなさんには、息子の子育てのなかで得られた役立つ情報をお伝えし、できるだけ効率的にお子さんの子育てをしていただけたらと考えています。
愛される子どもとはどんな子どもでしょうか
息子が世間の方々に「愛される子ども」になるためには、「愛される子ども」とは、どういう子どもなのかを知る必要がありました。また、わが子をその理想に近づけるにはどうしたら良いのかを考える必要もありました。そして、以下のように考えたのです。
「愛される子ども」とはどういう子どもなのか、それに関する考え方はさまざまだと思います。「元気で明るい子」というのもその対象になるかもしれません。「元気で活発な子」は微笑ましくみえるので、一般的に「愛される子ども」なのかもしれません。
「元気」という意味では、息子が多動だった頃は一見すれば元気で活発な幼児に見えたかもしれませんが、よくよくみれば「元気」とは全然違ったと思います。
私は、発達障害児が「愛される子ども」とまでにはいかないとしても、世間の方々にうけ入れてもらえるとするならば、「素直な子」に育てるのがもっとも良いのではないかと考えました。その理由は、「素直な子」は健常児でも「愛される子ども」だからです。
「素直な子」とはどんな子どもでしょうか。「素直な子」は、他者に対して気づかいのできる子どもであり、他者に対して「配慮できる心」のある子どもだともいえると思います。
また、私は「素直な子」とは、「性格が穏やかで優しい子」であるとも思います。「性格が穏やかで優しい子」とは、おとなしくて優しい性格の子どもであり、優しい子どもとは、他者に対して、「心配り」ができる子どもであるともいうことができると思います。
この「配慮できる心」「心配り」は人として尊敬に値する性格、感情であり、健常者の大人でもその境地に至るのはむずかしいのではないかと思います。こんな偉そうなことを書いている私も、これとはほど遠いところで生きています。
そんな私でも、「愛される子ども」がどんな子どもなのかはわかります。「愛される子ども」となるためには、少なくとも「協調性(他者との適切な関係を築きたいという謙虚な心)」があることが前提条件となるはずです。「協調性」がある子どもは、他者に対して「配慮できる心」があり、「心配り」ができる子どもですから、他者からも愛される可能性が高いのではないかと思います。
愛される子どもを目指して
私は、息子に対して、世間の方々に愛されるとまではいかなくとも、せめてうけ入れてもらえるように育てたい、そのためにはどうしたらよいか、ずっと考えてきました。その結果、私が息子の子育てのなかで苦労して最終的に出した結論が、「協調性」を育てることでした。
この「協調性」は息子と息子以外の他者との関係性です。そこで、まず考えたのは、この「息子以外の他者との関係性」は、息子ともっとも関係性の深い親である私との関係性の構築から始まると考えたわけです。したがって、「協調性」を育てるためには、まず、私と息子との適切な関係性の構築が必要であり、言い換えれば「適切な親子関係の構築」が不可欠であると考えたのです。
「愛される子ども」を意識した子育てをしよう
これまで息子を育ててきた経験から、発達障害児の子育ては、普通の健常児の子育てと基本的には同じであると、私は考えています。ただし、子育ての大変さは全然違いますが・・・。
こういうと普通の子育てならもうとっくにしているのに、思うようにいかないのは何故なのかというご批判があるかもしれません。確かに発達障害児を抱える親御さんもわが子の子育てを普通にこなされていると思います。しかし、なかなか成果が現れないのには、下記のような理由があるからだと思います。
「愛される子ども」を育てようと前述しましたが、それを強く意識した子育てが重要だと考えました。「愛される子ども」は、「協調性」がありますし、「協調性」を育てるには、「適切な親子関係の構築」を意識した子育てをしないと、なかなか成果は期待できないと思います。
万人に愛される子どもまではいかないにしても、うけ入れてもらえる子どもというのは、少なくとも、私と息子の間に「適切な親子関係」が構築できていなければならないと考えました。世の中にはさまざまな人間関係がありますが、もっとも基本的な人間関係として、親子関係が適切にできたとしたら、他の第三者との良好な関係を築くことができるのではないかと考えたのです。最初は、「適切な親子関係の構築」ですが、息子の成長とともに「適切な友人関係の構築」「適切な上司と部下の関係の構築」と人間関係の幅を広げていけば良いと考えたのです。
息子の子育てをしていたとき、特に息子がパニックを起こして拒否反応を示したのは、身辺自立などをしたときです。息子は自分がやりたくないことをさせられるときに、パニックを起こしました。その当時、息子は私に対してどう思っていたかはわかりませんが、少なくともどうでもいい存在だったのではないかと考えています。どうでもいいと考えている相手のいうことは聞く必要はないのですから。(正確には、息子は理屈で明確にそう考えていたのではなく、私のことは感覚的にどうでもいい存在ととらえていたのだと思います)
このような子育て経験のなかで、私は息子との適切な親子関係を構築することが優先課題であると考えました。その後の子育ては、「協調性」を育てること、「適切な親子関係の構築」を強く意識しながら、すすめていきました。
私が、息子の子育てに参加したのは息子が3歳を過ぎた頃からです。その後、小学校入学までの約2年半の間、息子は目覚ましい成長を遂げたと思います。その理由は、私は息子の子育てを闇雲にしていたわけではなく、信念をもって正しい子育てをしたからだと思っています。私が考える正しい子育てとは、「子どもの成長が期待できる子育て」です。そして、私が考える「子どもの成長が期待できる子育て」とは、「協調性」を育てること、「適切な親子関係の構築」を意識した子育てです。
私の息子の急速な成長は、偶然にそうなったわけではありません。正しい子育てを実践すれば、誰でも、もちろんあなたでもできることだと考えています。発達障害児の子育ては大変ですから、相当な根気と労力が必要とされますし、成長の度合いは個人差があります。最初は、少しずつしか成果はでないかもしれません。ですが、徐々に成果の度合いは大きくなっていくと思います。もちろん、子育てですから、一朝一夕にはいきませんが、長い目で頑張っていきましょう。
なお、「協調性(他者との適切な関係を築きたいという謙虚な心)」を育てるためには、「適切な親子関係の構築」が必要です。この「協調性」と「適切な親子関係の構築」については、具体的にどのようにすれば育むことができるのか、こちらで詳細にご紹介しています。